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福岡地方裁判所小倉支部 昭和37年(タ)3号 判決

原告 斉藤ハルノ

被告 姜礼鉱

主文

原告と被告とを離婚する。

斉藤次郎(昭和十八年九月二日生)および斉藤太郎(昭和二十年五月二十五日生)の養育者を原告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一  原告の申立

主文第一、三項同旨の判決および「斉藤次郎および斉藤太郎の親権者を原告と定める。」旨の判決を求める。

二  請求の原因

(一)  原告はもと日本人であるが、昭和十六年六月二十六日朝鮮人である被告と婚姻の届出をし、その間に、同十八年九月二日斉藤次郎を、同二十年五月二十五日斉藤太郎を出生した。

(二)  被告は船員であつたが、同二十年三月二十日乗船して福岡県若松市藤ノ木桟橋から出港したまま帰港せず、爾来十七年間まつたく音信不通であつてそれ以来被告の生死は分らない。

(三)  よつて、原告は、被告に対し配偶者の生死が三年以上明かでないことを理由として被告との離婚を求める。

(四)  原被告間に出生した斉藤次郎、斉藤太郎は、被告のゆくえ不明以来原告において育てたものであるから、親権者には原告と指定するのが相当であるからその旨の指定を求める。

三、原告は、甲第一号証第二ないし第四号証の各一、二を提出し、証人南定雄および原告本人の供述を援用した。

四、被告は、公示送達による呼出を受けたが、本件各弁論期日に出頭しないし、答弁書その他の準備書面をも提出しない。

理由

1、原告の主張事実によると、原告はもと日本人であつたが朝鮮人である被告との婚姻により朝鮮における戸籍に入籍し国内法上朝鮮人としての法的地位をもつていたものであつて、日本国の平和条約の発効にともない日本国籍を喪失したものと解される(最高裁大法廷昭和三十六年四月五日民集十五巻四号六五七頁参照)から本件訴訟は外国人間の離婚訴訟ということになる。

したがつて、わが国の裁判権の有無が問題になるのであるが、もと日本人であつた者が婚姻またはその他の事由により外国人となり配偶者と日本において同居し住所を有している場合において、もと日本人であつたものが配偶者を相手に離婚訴訟を提起するときにわが国に裁判権を有すると解するのが相当であつて、この点については判例の一致して認めるところであつて、詳論するを要しないであろう。

2、そして、被告の最後の住所地(なお、被告のゆくえ不明後の原告の住所地も)福岡県若松市にあつたことは後記認定のとおりであるから人事訴訟手続法第一条第二項の規定を準用して当裁判所が本件訴訟について管轄を有すると解すべきである。

3、よつて、本件離婚請求権の有無について判断するに、いずれも公文書であるから真正に成立したものと認められる甲第一号証、第二ないし第四号証の各一、二に原告本人の供述に弁論の全趣旨を総合すると、原告は大正八年二月十五日訴外斉藤留吉、同イチ間の二女として福岡県若松市において出生し昭和十六年六月二十六日若松市に居住していた朝鮮人たる被告と結婚し、同日婚姻届が提出され被告の本籍地たる朝鮮咸鏡南道安辺郡瑞谷面中里十四番地に妻として入籍され、爾来原告と被告とは若松市大字藤ノ木七百三十一番地に生活の本拠を置き、その間に昭和十八年九月二日斉藤次郎、同二十年五月二十五日斉藤太郎が出生したことが認められる。

証人南定雄および原告本人の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば被告は若松港において船員として小型船舶に乗り込み石炭積み込み、運搬の作業に従事していたものであるが、昭和二十年三月夕方小型船舶に乗船して若松市藤ノ木桟橋を出港して以来帰港せずそのまま所在不明になつて、爾来十七年後の今日に至るまでその生死がまつたく不明であること、原告はその後みずから働きに出、あるいは生活保護法による生活保護を受けたりあるいは近所の人の援助を受けたりして生活を営み原被告間に出生した斉藤次郎および斉藤太郎(なお、右太郎は被告がゆくえ不明になつた後出生した)を育て現在に至つていること、そして現在原告は職業安定所を通じて日やとい人夫をし、斉藤次郎は潜水業手伝、斉藤太郎は職工をして生活をしていること、なお、原告はいわゆる北鮮および南鮮のいずれに属するかをとくに希望しているものでないことが認められる。

4、ところで、法例第十六条の規定によると、離婚の請求について適用すべき法律については夫の本国法による旨定められているから、本件において大韓民国の民法の規定によることになる。もつとも、この点について、被告の本籍地がいわゆる北朝鮮にあるから大韓民国の法律を適用すべきでないとの見解があるかも知れない。

ほぼ北緯三十八度線を境界としていわゆる北朝鮮においては「朝鮮民主主義人民共和国」が存在し、同所には現実に「大韓民国」の法律が実効性が期せられておらず、しかも、この現象は、一時的なものではなくなかば恒久的なものになりつつあることは公知の事実である。したがつて、本籍地を根拠法の連結点とし「朝鮮民主主義人民共和国」の法律を適用すべきとする見解も十分傾聴に価するものであつて、一般論としてまつたく否定しさることはどうかとも思うが本件事案においては前記認定のとおり被告は現在その所在はもちろん生死すらも長期にわたつて不明であり、原告自身いわゆる北朝鮮、南朝鮮の区別にとくに関心をもつておらず、とくに原告はもともと日本人であつて、当時日本人であつた朝鮮人と婚姻し、婚姻当時一般人では予測できなかつた日本国のポツダム宣言の受諾とこれに伴う日本国との平和条約との発効によつて意外にも外国人となつたのであるから、将来当然日本人として帰化することが予想されるのであり、そのさいに現在の国籍法の諸規定からみて帰化のさまたげにならないように考慮することが事案のもつとも適切な解決であると思われる特殊事情がある。のみならず日本国政府において朝鮮の政府として(事実上)承認しているのは現在「大韓民国」のみであるから、本件事案においては夫の本国法として「大韓民国」の法律を適用するのが相当であると解するものである。

5、そして、大韓民国の民法第八百四十条第五号には「配偶者の生死が三年以上明かでないとき」を裁判上の離婚原因として定めており日本の民法第七百七十条第一項第三号にも同趣旨の規定が置かれておるところ、大韓民国民法附則第十九条第一項の規定によると「本法施行前の婚姻に、本法により離婚の原因たる事由のあるときは、本法の規定により裁判上の離婚の請求をすることができる」旨を規定しているところからみて、前記認定の事実は離婚原因に当ることはあきらかであつて、本件離婚の請求は正当である。

6、ところで、原告は斉藤次郎および斉藤太郎の親権者を原告と定める旨を申し立てているが離婚を原因として親権者を誰に定めるかの問題は離婚に附随し離婚の効果として発生するから法例第十六条の規定により離婚の準拠法による――大韓民国の法律によつて定めるものと解するのが相当である。ところで、同国民法第九百九条の規定にによると「未成年者である子はその家にある父の親権に服従する。父がいないかその他親権を行使することのできないときは、その家にある母が親権を行使する(中略。)父母が離婚するか、父の死亡後母が親家に復籍または再婚したときは、その母は前婚中に出生した子の親権者になりえない。」旨定められており、離婚後の未成年の子に対する親権者は夫たる父(被告)であつて、妻たる母(原告)は親権者になることができない。(ただ事情により母は後見人となることができるにすぎない。同国民法第九百三十二条第九百二十八条なお第九百三十五条各参照)のみならず同国民法第八百四十三条、第八百三十七条の規定によると、裁判上の離婚にあたつては、当事者がその子女の養育に関する事項を協定しないか、または協定することのできないときは裁判所は「当事者の請求によりその子の年齢、父母の財産状況その他の事情を参酌して養育に必要な事項を定め」ることができる(同条第二項参照)のみであつて、この定めも「父母の権利義務に変更をもたらすことはできない」(同条第三項参照)のであり(この規定は、手続規定でもあるが、同時に当事者の請求を条件とする離婚にともなう養育に関する実体上の規定であると考えられる)いずれにしても裁判所としては日本人間の離婚訴訟のように離婚当事者のいずれか一方を親権者と定める権限も有しないのである。

7、以上のとおり、当裁判所は韓国民法の前記各規定により原告を親権者と定めることができないのであるが、この点について、右各規定とくに第九百九条の規定は、法例第三十条に規定するいわゆる公序良俗に違反するからその適用を排除すべきであるとの見解があるから、この見解に対し、簡単にふれることとする。まず、大韓民国の民法の前掲各規定は離婚した母に子に対する親権をまつたく否定しているものであつて、この規定自体は日本国憲法における家族生活における個人の尊厳と両性の平等とを基調として成立し、家族生活における妻の従属性を否定した日本国の民法の各規定に違反することは明きらかである。しかし、法例第三十条のいわゆる公序良俗とは、このような準拠法として定められた法律の適用すべき規定が日本国憲法ないし法律の各(強行)規定に違反しているときをすべて含むとする広い概念ではなく(もしこのようなときにも含むと解すると準拠法と定められた法律を適用する意味の大半が失われるであろう)準拠法として定められた法律を適用した結果が日本国の憲法ないし法律からみて公序良俗に反すると認められるときに限りこれに該当すると解されるのである。ところで、本件離婚訴訟においてかりに子の母(である原告)を親権者と定められないとしても、未成年者である子の保護は後見人によりまたは養育者の定めにより現実に与えられるのであるからこのような結果はなんら日本国憲法ないし法律からみて公序良俗に反するものといえない。

大韓民国民法の前掲各規定は日本国憲法の理想と反するものと考えられはするが、親族相続などのような身分に関する事項については各民族、各国特有の伝統と慣習とがありこれにもとづき各国が独自の身分法に関する規定を定めるのであつて、この種の規定が日本国憲法の理想と反するからといつて、その外国に属するひとびとの間の離婚訴訟についてまでも(原告がもと生来的日本人であつたことも一たんその外国の国籍を取得したと解される以上、このことは変らない)そのまま日本国憲法の理想を押しあてようとすることは当を得ないと考えられるのである。

8、ところで、原告は「原告を斉藤次郎と斉藤太郎の親権者と定める」旨を申し立てているが、この申立の失当なことは前述6、7、で明らかであるが、当事者の真意は、子の保護、利益のためにこの種の申立をしたものと思料されるから、この申立を大韓民国民法第八百三十七条第二項に規定する養育に関する事項を定めることを申し立てていると解して差しつかえないと考えられる。そして、前記の認定事実によると斉藤次郎および斉藤太郎の養育を原告にゆだねるのが相当と判断される。

9、以上の次第で原告の離婚請求は正当として認容し、斉藤次郎および斉藤太郎の養育者を原告と定め(親権者指定の申立はそれ自体としてみれば失当であるが非訟事件の性質を有するから主文に記載すべきでない)、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 奈良次郎)

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